統計
総発言数—
中野重治の指標ごとの累計の回数・割合・順位| 指標 | 回数 | 割合 | 順位(回数) | 順位(割合) |
|---|
| 回答を控えた | 0回 | — | - | - |
|---|
| 記憶になかった | 7回 | — | 244位 | 100回未満 |
|---|
| 検討すると答えた | 0回 | — | - | - |
|---|
割合は総発言数に占める割合。順位は同じ指標の累計ランキングでの順位。「-」は記録が無く順位が付かないこと
年別
中野重治の年別の発言数と、指標ごとの回数・割合・順位| 年 | 発言数総発言数 | 指標 | 回数 | 割合 | 順位(回数) | 順位(割合) |
|---|
| 1950年 | 358回 | 回答を控えた | 0回 | 0.0% | - | - |
|---|
| 記憶になかった | 2回 | 0.6% | 71位 | 81位 |
| 検討すると答えた | 0回 | 0.0% | - | - |
| 1949年 | 581回 | 回答を控えた | 0回 | 0.0% | - | - |
|---|
| 記憶になかった | 5回 | 0.9% | 25位 | 79位 |
| 検討すると答えた | 0回 | 0.0% | - | - |
記憶になかった発言一覧(すべて)
参議院・在外同胞引揚問題に関する特別委員会
1950年3月27日・第7回国会・発言順序 88
答弁中野重治日本共産党
(前略)
…贋指令なんであるが、贋指令も何ものかに基いたということがあるとすれば、それは三月二十日附の指令、指令という名前であつたか、通達という名前であつたか、私は今正確に覚えておりませんが、あれの間違いではないか。だから四月二日附云々ということが基礎になるとすれば、私はそれは贋物であるということにならなければならんのですが、その点どうでしようか。
参議院・在外同胞引揚問題に関する特別委員会
1950年2月23日・第7回国会・発言順序 343
答弁中野重治日本共産党
天田委員が委員長席に着かれたときであつたか、岡元委員が委員長席に着かれておつたときであつたか、今正確に覚えておりませんか。いずれにしても委員会において北條委員からそういう話があつたので、これは天田委員であつたならば天田委員から、その点正確に発言願えれば尚いいと思います。
参議院・在外同胞引揚問題に関する特別委員会
1949年12月6日・第7回国会・発言順序 46
答弁中野重治日本共産党
(前略)
…らかになつて来ておりますように、又衆議院並びに参議院で問題になつたときも、話の中に出ておりますが、我々の同胞が尚残留していると思われる全地域に亙つて、これをやる必要がある。今正確な数字を私覚えておりませんけれども、引揚げかとつくに完了してしまつて、もう誰もいないと言われていた地区から引揚げて来る人々がある。それからもう残つていないのだと言われていた所に、まだ相当残つておる…
(後略)
参議院・懲罰委員会
1949年5月31日・第5回国会・発言順序 39
答弁中野重治日本共産党
(前略)
…いということが一つ。
それから次に祕密会にするかどうかということの問題で一般の裁判のことなんかもお話になりましたが、参議院規則のことを私今詳しく覚えておりませんが、確か衆議院規則によれば、懲罰に付せられるように決定した議員、その人も議長の許可を得ればみずから懲罰委員会に出席することができるとあり、又は他の議員をしてこれに代らしめることができるとい…
(後略)
参議院・懲罰委員会
1949年5月31日・第5回国会・発言順序 271
答弁中野重治日本共産党
(前略)
…が第二点。第三の点は、あなたのさつきのお言葉で、そうこうしておるうちに副議長が議長席へいつの間にか着いていた、或いは着いたと誰かが言つたのが自分に聞えた。前の方でしたか記憶がありませんが、そうこうしておるうちに副議長が議長席に着いたということを、あなた自身が認めたというふうにお話になつたように記憶しますが、そうであつたかということ。第四は、そうであつたとすれば、議長がこ…
(後略)
参議院・文部委員会
1949年3月24日・第5回国会・発言順序 18
答弁中野重治日本共産党
九州班の報告をいたします。九州班の報告をするにつきまして、九州班は最低二人行くことになつておりましたが、前日になつて一人が急に都合惡くなりまして、結局一人で九州班を構成することになりました。これは報告者として残念に思います。二月の二十四日の朝出発しまして、三月の五日に向うの臼杵を立ちました。この間に遠いために汽車そのものにまる三日ぐらいとられましたために、実際の視察行動が…
(後略)
参議院・文部委員会
1949年2月12日・第5回国会・発言順序 23
答弁中野重治日本共産党
(前略)
…当きちんと注意をした。併しその前は私の見たところでは、非常に落ちておつたと思います。例えば説明は少し不足かも知れませんが、あれをほどいて、たしかあれは私は食堂か聖霊院が覚えておりませんが、あの頃は昭和十年か、十一年頃だつたかと思いますが、あの頃は大工さんが入つていて、下帶一本、バツトをくわえて仕事をしておりました。その頃と模写が始まつてから以後との間では、やはり火の注意…
(後略)